8と八のシンクロニシティ

〈8・八〉のシンクロニシティー

太陽としめ縄の意味すること
 パソコンで「にほん」とキーボードに打ち込むと「二本、日本」という漢字が表示されます。「にっぽん」では「日本」となります。
 わが国古代人は、以下のことを得意としていたと思います。
① 一つ表記の上に二つの意味を与えること。
② 同じ意味で結ばれる二者、同じ性質を持つ二者の形を変えて表わすこと。
①のパターンに該当するのが、さきの「にほん」ではないかと考えられます。つまり、日本は「日の本」であり、「日出処」
となります。二本は「二本の縄」と解釈できます。二本の縄に対し二本撚りの「しめ縄」を予想できます。問題は日の元、つまり太陽としめ縄の関連性です。

 卑弥呼は鏡を統一祭器に掲げ、共立政権としての邪馬台国の女王として君臨しました。このときの鏡は太陽と渦巻きを象徴する祭器であったと考えることができます。
 わが国の古代人は太陽信仰と渦巻き信仰をもっていたと考えることは魅力的です。なぜなら、鏡としめ縄が存在するからです。太陽と渦巻きは、次のような意味をもっています。
〇太陽=水のコントロール思想/太陽・火・水の相対関係
〇渦巻=生成・造化/異形同質の相対関係
 太陽信仰はほとんどの古代史愛好家の皆さんからの賛同を得られると思います。問題は渦巻きです。この渦巻きは、実はしめ縄とは異形同質の関係に置かれているのです。そして、さらに縄文土器に描かれる縄目文様とも同じ関係を保ちます(大谷幸市『あきづしま 大和の国』彩流社2007)。次の関係の成立を予測できます。
渦巻文/しめ縄状文様/縄目文様/メビウスの帯
 二本の縄によって始めて縄目文様、しめ縄が作られるわけです。すなわち、二本の縄は、それぞれ相手の存在を絶対的に必要とします。この「相手の存在を絶対的に必要とする」ところに、「融和の理念」を発見できます。これはS字渦文と逆S字渦文の合体によるハート形の形成/「蜻蛉の臀呫の如くにあるかな」にも、同じ「融和の理念」を読み取ることができます。
 太陽/日出処としめ縄/渦巻文/融和の理念の図式は、聖徳太子によってまとめられています。つまり、聖徳太子は、隋へ遣わした遣使に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや云々…」とする国書を託しています。いっぽう「十七条の憲法」を制定し、その第一条において、「和を以って尊しとなす」と定めています。
 聖徳太子に発見される太陽と和の精神に対して、私たちはどのように理解すれば、よいのでしょうか。これは「偶然の一致」でしょうか。私はそう思いません。意図されたものだと思います。
わが国古代において、太陽は天照大神として、渦巻きの合体形はハート形土偶として、縁結びの神に象徴される融和の理念は神社のしめ縄として現存しているからです。否定される方は、これらが何を意味するものであるか、説明しなければならないでしょう。

7月26日、私たちは八ヶ岳の麓、井戸尻遺跡へ行きます
 26日の2と6をたすと8になります。そんな日に私たちは「八ヶ岳」の山麓へいきます。8と八の組み合わせ、シンクロニシティです。それは偶然の一致でしょう。しかし、古代の私たちの祖先にあたる人たちが考えていたこととは、同じではありませんが、無理やりでもこじつけたい何ものかを感じます。それでも…のです。八ヶ岳へ行ってきます。
縄文人にとっての八ヶ岳は、自然の造形の八に「生成・造化」の意味を与えることができます。そこは諏訪湖、黒曜石を擁す和田峠をはじめとする恵みのある「理論と実証」の地=聖地だったのではないでしょうか。5000年前の井戸尻の縄文人に会うために、一時のカタルシスを味わってきます。皆さんも八ヶ岳を訪れてみませんか。

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