飛ぶ鳥と十字形

飛ぶ鳥と十字形 ―ミソサザイとハヤブサの関係―
 『日本書紀』仁徳天皇条に、ミソサザイという小鳥とハヤブサという猛禽類が登場する奇妙な記事があります。それは仁徳天皇の別名「鷦鷯」と隼別皇子の名前に現われています。ストーリーは雌鳥皇女をめぐる仁徳天皇と隼別皇子の軋轢を語るものです。この話を文字どおり受け取ることはできません。文字通りとは、かつて津田左右吉という人が、『記・紀』はでたらめを書いていると言いました。過ちはこれだけに終わらなかったのです。『記・紀』は天皇家擁護のために書かれた史書と言い切った研究者のいることです。
 仮にそうであるとすれば、たとえば、雄略天皇条などは、その悪徳ぶりが克明に書かれています。これなどは天皇家を擁護することにはなりません。擁護が目的ならば決して書くことはなかったでしょう。これだけをみても津田左右吉の結論は、当時の社会の情勢に立った視点からの歴史観であることがわかります。歴史認識の違いは、時に重大な結果を招くことになります。左右の思想や特定の勢力に加担することは許されません。バランス感覚をもち正当に判断することが求められるのです。

 さて、『記・紀』編者の意図を読み切れない人、理解できない人は、「でたらめ」という言葉以外の言葉を探しだすことができなかったようです。
とかく相手を悪者にしたがる人は、自分に多くの要因があることに気づく能力(自浄能力)に欠けているようです。そういう人に限ってそれに気づくことがないのです。自分の能力を棚に上げる人は重大な過ちを犯す危険性があります。
 一見無関係と思われる話の背景には、トポロジーが存在しています。このトポロジーはそのような一見無関係にみえる二者を結ぶという「得意技」をもっているのです。
 それでは、ミソサザイとハヤブサの間にはどのような意味が隠されているのでしょうか。探ってみたいと思います。
 この物語を解く鍵は、「雌鳥皇女・隼別皇子」と仁徳天皇の「鷦鷯」に隠されています。仁徳天皇の「鷦鷯」は、「ミソサザイ」という日本列島では最小クラスの小鳥です。いっぽう、隼別皇子の「ハヤブサ」は、中型の猛禽類です。
 わが国の古代人が飛ぶ鳥にこだわっていたことは、飛鳥をアスカと呼称し、「飛鳥川」、「飛鳥寺」「飛鳥浄御原律令」、さらに「飛鳥板蓋宮(皇極)・飛鳥岡本宮(舒明)・飛鳥川原宮(斉明)」などに使われているところに明らかです。
 なぜ、「飛ぶ鳥」なのでしょうか。『記・紀』に登場する倭迹迹日百襲姫(『紀』)の「トトビ」に「鳥飛び」と解釈する考え方があります。私はかつて、鳥の飛翔形に十字形を考えたことがあります(『古代渦巻文の謎』三一書房1995)。
 『紀』はミソサザイとハヤブサを対比しています。この裏側に、私たちは十字形とそれに関連する相対性を読み取ることができます。今、鳥の飛翔形に十字形を予想すると、図にみるような各パターンの十字形に気づくことになります。
 ハヤブサに代表される猛禽類が戦闘的な鳥であること、ミソサザイに代表される小鳥、および水鳥は、非戦闘的です。どちらかといえば、おとなしい鳥たちであることは、誰もが認めるところでしょう。では、なぜこのような話が書かれたのでしょうか。
この疑問を解く鍵は、ハヤブサとミソサザイの飛翔形に表われている十字形にあります。この十字形に関して、興味深い研究があります。それを紹介します。
「恐怖の十字形」と題して、大村平氏は次のように書いています(『図形のはなし』日科技連出版社1979)。

 「公園や動物園の一隅に設けられた金網の中に、たくさんの水鳥が餌をついばんだり、泳いだり、陸の上で羽づくろいをしたり……、のどかな光景です。餌の豊富な檻の中を羨んでか、金網の外を雀や鳩が往来しますが、檻の中の平和は少しも乱れません。ところが、金網の外をツバメが横切ると水鳥の世界には大騒動が起るというのです。チビの水鳥はもとより、ガチョウやガンのようなデカまでがあわてふためきにげまどうのだそうです。
 水鳥にとって強敵とも思えない小さなツバメが、なぜ水鳥たちにこれほど怖れられるのかを解明するためにいろいろな実験が行われました。きっと、金網の外を丸や四角や、あるいは槍のような図形を横切らせてみたり、図形の大きさや色を変えたり、横切る速度を変化させてみたりしたのでしょう。その結果、図のような図形を横切らせると水鳥たちの世界にパニックが起こることがわかりました。この図形のや大小にかかわらず、です。
 水鳥には、小魚などを捕食する肉食性のものが多いのですが、その水鳥もタカやハヤブサにねらわれま
す。とくにハヤブサは鳥の仲間ではトップ・クラスのスピードを誇り、獲物を見つけると上空からまっさかさまに急降下し、鋭いつめで獲物を叩き落として捕らえるで、水鳥たちにとっては一瞬の油断もできな
い強敵です。そのハヤブサが宙を飛ぶ姿が図にみる形をしているのです。だから、首が短く尾の長いこの図形に水鳥たちが自己防衛のための本能的な恐怖心を抱いているとしても不思議ではありません。そして、ここがおもしろいところですが、宙を飛ぶツバメの姿もまた、二股に分かれた尾の先などを無視しておおざっぱに見ると、この図形によく似ているのです。これが、金網の外を横切るツバメの姿に水鳥たちがパニックを起こす原因だったようです。
 念のために付け加えておきますと、同じ図形を逆方向に動かしても水鳥たちは平気のへいざです。逆方向に飛ぶ図形は首が長く尾が短いので白鳥のような形になり、白鳥は水鳥たちの親愛な仲間だからでしょう。こうしてみると、水鳥たちは、図と相似な図形には恐怖心を駆りたてられることがわかります。
確かに、ハヤブサには大きめのも小さめのもいるでしょうし、遠ければ小さく、近ければ大きくなるでしょうから、一定の大きさのハヤブサだけしか恐怖を感じないようでは困るのです。水鳥たちのどこに「相似」を判断する能力があるかわかりませんが、いずれにしても水鳥たちにとって相似であるか否かの判別には生命がかかっています。

 大平氏が記すところは、水鳥が「十字形」を判別する能力があることを示しています。私たち人間も水鳥と同じく鳥の飛翔形に十字形を読み取ることができます。
 ミソサザイとハヤブサの説話には十字形という図形が隠されていたのです。十字形にもいろいろなパターンがあります。『紀』編者は、ミソサザイ/水鳥型十字形を選択しています。これは仁徳天皇とミソサザイを等式で結んでいるところに明らかです。
 このような『紀』編者の選択が意味するものは、まことに重大です。その重大性は、ハヤブサ型の十字形ではなく水鳥型十字形がもっているのです。つまり、丸十に代表される十字形は正八角形の骨組みの一つである「+形」を意味します。この +形は新石器人の十字形(前稿「人類の未来を語る多神教」に掲げる図2008.7.13参照)につながっています。
この十字形が「融和と共生」の理念をもつものであることは、究極の相対性をもつ双曲幾何と楕円幾何の合体形に求めることができます。『記・紀』編纂時代のリーダーたちは、ハヤブサ型十字形/戦闘的な十字形ではなく水鳥型十字形/非戦闘的な十字形を選択していたわけです。『紀』編者が、「ハヤブサとミソサザイ」の物語を書いたわけは、「融和と共生」の理念を重視し、それを政治的理念とする意図に基づいて記述されていたことがわかります。
 私たちはミソサザイとハヤブサに隠された十字形の意味を知ることができました。わが国古代においてこの十字形はしめ縄とともに表現されています。神社にみられる千木としめ縄の組み合わせが、それです。次なる命題は、わが国の古代人が、この +形と ×形の合体形である 米形をどのように理解していたのかが、問題になってきます。この十字形は ×形と合体し米形を形成します。この米形は、正八角形の骨組みとなるものです。これは人類にとって極めて重要な意味をもつ図形(文様)と認められます。これ以上の図形(文様)を探すことはできないでしょう。

〔縄文人の思考法に学ぼう〕
トポロジーの視点をもてば、それまで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったことがわかるようになります

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