中沢新一氏の重大なまちがい

中沢新一氏の重大なまちがい (中沢新一著『神の発明』をめぐって その1)             2012.5.28

中沢新一氏は、その著『神の発明』(講談社選書メチエ、2003)の中で、メビウスの帯の裏と表の区別ができない現象が、いちばん重要な点であるとして、次のように書いています。

A この「この表と裏の区別がない」図形が、じつに多くのことを語るのです。たとえば、ここに一枚の長細い紙をもってきて、表面は「生者の世界」をあらわし、裏面は「死者の世界」をあらわすものとしましょう。紙の表面に穴でも開けないかぎり、表から裏に抜けていくことはできないとしますと、この紙の状態は、私たちの「常識」がとらえる世界認識をあらわしています。私たちはふつう、生きているときには死の世界のことはわからないし、死んでしまったものが生者の世界に自由に来ることなどはできない、と決め込んでいます。生者の世界と死者の世界は、紙の表面と裏面のように、くっきりと分けられていて、二つの世界を連続させることなどは不可能だ、というのが今日の「常識」の立場です。

B ところが、さきほどから私たちが研究している「スピリットとともにある古代」では、そのような区別は存在していませんでした。生者の世界と死者の世界は一つながりになっていると考えられていたからです。もっと正確に言うと、彼らの世界には、私たちの考える固定した生者の世界も、死者だけの住む世界も考えられてはいません。生と死のさらに根源に、生でも死でもないエネルギーの連続体があり、そこには無数のスピリットが住んでいて、通りがかった女性の胎内に飛び込んでは新しい生命となって、現実にお世界にあらわれ、しばらくその世界で体験を積んだのちに、死と呼ばれる出来事を通過して、再び生死を超えた連続体にたち戻っていく、というのがこの「古代人」にとっての「常識」でした。

 

中沢新一氏は、レヴィ・ストロースのいう「知的なモデルを使って理解を補うというの

がよいやり方だ」とする意見に共鳴しています、そして、その知的なモデルにメビウスの

帯を想定し、次のようにのべています。

 

…認識をおこなっている人間も、その人間を取り巻く自然も、すべてが連続するエネルギーの流動体としてとらえられている世界の体験を、一つのモデルでとらえるのだとしたら、最適なものがあります。それは、「メビウスの帯」と呼ばれるトポロジーの図形を使うことです。

 

なぜか、トポロジー(位相数学)の啓蒙書には、必ずメビウスの帯が登場します。中沢新一氏はこれを引用したものと考えられます。中沢氏は、メビウスの帯に対し、「表と裏の区別のつかない」ということを強調しています。しかし、この「表と裏の区別のつかない」現象がなぜ生れているのかということを事前に検証することが求められます。中沢氏はこの重要な作業を行っていません。

メビウスの帯の表と裏の区別のつかない現象は、どこから生じているのか、この原因を究明しておく必要があります。つまり、目に見える現象だけに捉われること、つまり、結果に基づく解釈を与えてしまうと本人が気づかないうちに「恣意的な解釈」を与えてしまうという危険性が待ち受けているからです。

中沢氏のいう「メビウスの帯の表と裏の区別のつかない現象」とは、細長い紙を一八〇度の反転し、その両端を貼りつけることによって起こります。この一八〇度の反転現象が、表と裏の区別のつかない現象を引き起こしているのです。

中沢新一氏は、「メビウスの帯の表と裏の区別のつかない現象」に「生と死」の概念を対応させています。しかし、さきの現象に一八〇度の反転現象という要因を考慮すると、「一つ形で二つの性質を有する」こと、すなわち、「両性具有」の意味を導くことが可能です。中沢氏は、これに対しどのような反論をお持ちでしょうか。その著作『神の発明』には、それらしき意見はいっさい書かれていません。このように、ものごとは結果だけに注目し、その原因を無視することは危険です。中沢氏は、その原因を無視したためにメビウスの帯に現れている表裏一体に対し「生と死」の概念で解こうとしてしまいました。問題はこれだけでおさまりません。

メビウスの帯に両性具有の現象を指摘して、はじめてその表と裏の区別のつかない現象に相対性を読み取ることができます。しかし、ただ単に上下、左右、明暗、表裏、つまり「相対性」を指摘するだけでは正しい理論を組み立てることはできません。「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しい生命が生れる」に適合することが、最初に求められます。つまり、同質でありながら、異形の二者の合体によって新しいもの、カタチ、概念などが生みだされるということを前提とすることが必要です。

中沢氏は、メビウスの帯の「表と裏」に「生と死」を単純に対応させたために、Bに書くところは、とてもわかりにくい説明になっています。ここに重大な錯誤が発生しています。

あえて繰り返します。メビウスの帯の「表と裏の区別のつかいない」現象は、前提として同質性が示されなければなりません。なぜなら、同時に存在する二者は、同質であることによって、はじめて合体して新しい生命・概念・カタチなどが成立するものであるからです。つまり、メビウスの帯の表と裏の区別のつかいない現象は、両性具有であるということを示していることを認識することが重要です。もちろん、この場合、一八〇度の反転現象が最前提にあることを忘れてはなりません。この一八〇度の反転は両性具有だけではなく、メビウスの帯に切れ込みを入れ続けると円環の連鎖という現象をも同時に生み出しています。これは理論的に無限に続きます。

 

 

メビウスの帯は一八〇度の反転によって、その表と裏が同一面で一体となっています。これが表と裏の区別のつかいない現象を作りだしているわけです。この表裏に生死を結ぶことは中沢氏の考え方でしかありません。極めて恣意的と言わざるを得ません。その思考方法は論理的整合性を欠いています。メビウスの帯の表裏に結ぶことができるのは、「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しい生命が生れる」という生命誕生の原理を根底に置かないと成立しません。

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