トポロジーの神髄は変身にある オタマジャクシは蛙の子

トポロジーの神髄は変身にある オタマジャクシは蛙の子(中沢新一著『神の発明』をめぐってその2)

 中沢新一氏は、「国家をもたない社会、神のいないただスピリットだけでつくられた[超越世界]をもつ社会、狩猟採集を中心に組織された社会――このような社会にに生きる人間が世界を体験している構造を、「メビウスの帯」をモデルに考えてみると、これまで謎とされてきた多くの問題に、新しい理解の光が差し込んでくるように思われます。ここではそういう問題の中から一つ、環状集落の構造をめぐる謎をとりあげてみることにしましょう」と「死者の世界を抱く環状集落」と題し、次のような意見をのべています。(中沢新一著『神の発明』講談社選書メチエより)

 その中で、中沢氏は「縄文の思想」の表現がピークを迎えた井戸尻縄文文化圏に属す縄文中期の山梨県須玉町御所前遺跡出土の人面把手付深鉢(図㋐)を例に引き、

 

   この土器に描かれているのは、蛙の背中だと言われています。蛙の背中がぱっくりと割れて、そこから新生児の顔があらわれています。多くの神話の中で、蛙は死の領域に近いところを住まいにする、両義的な水中動物だと言われます。月の表面にへばりついて「月の隈」となっているのが蛙だと言われることもありますし、口から水を吐いて大切な火を消してしまうのも、この蛙です。その死の領域の動物である蛙の背中から、新生児が生れてくる瞬間が、ここには描かれています。

 中沢氏は、新生児の顔があらわれているところは、「蛙の背中」であるとしています。図 ㋑の深鉢に描かれるのは、誰もが蛙を連想すると思います。その背中は眼形です。 この眼形は相対図形の素粒子である) 形と180度反転した(形の合体によって形成されています。一方、御所前遺跡出土の人面把手付深鉢は宝珠形です。この宝珠形は巻き方の相違する二本のらせん形の合体によって形成されています。

 この眼形と宝珠形は、それぞれ極めてシンプルですが、「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しい生命が生れる」という生命誕生の原理に適合するかたちをもっています。だから新生児が顔を出しているのではないでしょうか。生れたばかりの子供に死の領域に棲むという蛙を配置するでしょうか。

 「オタマジャクシは蛙の子」と言われるように、蛙は変態動物です。蛙の本当の意味は、オタマジャクシから蛙に変わる変身にあると、私は考えます。人間の胎児は勾玉形をもっているといわれます。一枚の細長い紙を180度反転させてその両端を貼り合せると不思議な現象をもつメビウスの帯がうまれます。この180度反転は変身の一つです。中沢氏は、続けて次のようにのべています。

この土器に実現されている思考では、生と死はまるで「メビウスの帯の ように」(あるいは三次元的に「クラインの壺のように」と言ってもいいかもしれません)ひとつながりになっているのではありませんか。目には見えない生と死がまだ一つである領域から、エネルギーが立ち上がってきて、一つの新しい生命を生みだそうとしています。そのエネルギーが現実の世界に触れる瞬間に、生と死が一体であった状態から、生と死が分かれている世界への変化がおこります。そのとき、」新しい生命は、死の領域を象徴する動物の背中を割って出現するわけです。

 中沢新一氏の文章を読んでいると、つい引き込まれてしまい、「なるほど」と納得しそうになってしまいます。しかし、よく考えると、メビウスの帯のもつ三大条件、

① 180度の反転現象、

② 両性具有の現象、

③ 円環の連鎖

において、「死」に結びつくものは何ひとつありません。三つとも①は有孔虫の誕生に見られ、②はメスばかりの魚が産卵期になるとその中の一匹の魚がオスに変身し精子を出します。この魚類は両性具有です。③連続性は継続性の意味をもちます。この意味は生命誕生の原理に深く関わっております。

 中沢氏のいう「生と死の一体状態」から生みだされるものは何でしょうか。「双分制」の論理を借りた偽装論理である、このように理解されるのですが、どのようにお答え願えるでしょうか。

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