トポロジーから生まれるアナロジーの連鎖

トポロジーから生まれるアナロジーの連鎖(中沢新一著『神の発明』をめぐって その3)

細長い紙を180度反転させて、その両端を貼り合せたものが、メビウスの帯と呼ばれるものです。このメビウスの帯の180度反転は、対称性から非対称性の変遷を表しています。

さきに私たちはメビウスの帯が「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しい生命が生れる」という生命誕生の原理に適合するものであることを知ることができました。すなわち、新しい生命が生れるためには、異形同質の二者の合体が必要条件です。換言すれば、異形同質の二者は「非対称」を形成するものでなければなりません。メビウスの帯の表と裏の区別のつかない現象に、「生と死」を配置した中沢新一氏は、

「あの世」は「あの世」、「この世」は「この世」に分離され、思考からはいっさいの対称性が失われてしまうことになるでしょう。そこで、いったん中心線にそって切り離された輪を、その切断面にそってもう一度縫い合わせるという行為によって、失われた対称性の一部を切り取ろうとする精神(心)の運動がおこるとき、そこに「来訪神」のような神が生まれてくることになります。前ページの図をご覧下さい。

「メビウスの帯」に切れ目を入れると、その輪がもっている特徴は失われて「メビウスの帯」自体は消滅することになります。しかし、人々の意識は切れ目のところにあらわれた隙間に注がれることになります。この隙間を埋めるイメーシを発見できれば、消失してしまった「メビウスの帯」が回復できるのです。そうすれば、スピリット世界ではごく自然に誰にでも見えていた世界の全体像を取り戻していくことも可能でしょう。ではどんなイメージであれば、その隙間を充填することができるでしょうか。多神教の思考は、ここで現代の精神分析学を先取りする、じつに重大な発見をおこなってきたのでした。

と書いています(『神の発明』講談社)。中沢新一氏が、メビウスの帯の表と裏に「生と死」をイメージしてきたことは、さきにのべました。この解釈が妥当性に欠くものであることは、今回も同様に示されています。つまり、「メビウスの帯に切れ目を入れると、その輪がもっている特徴は失われてメビウスの帯自体は消滅することになります」という説明を与えております。しかし、メビウスの帯は消滅しておりません。

メビウスの帯は消滅したのではなく、円環の連鎖という新しいカタチを生みだしているのです(元のメビウスの帯に二本以上の切れ込みを入れたとき)。このように理解することが正当です。180度の変転現象をもつメビウスの帯はそのままつながって残っています。このような図形変化がアナロジーの連鎖です。

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