真ん中を通る一休さん -はし談義-

「このはしを渡るな」
「真ん中を通ってきました」
 これは一休さんの頓智です。わが国において、「はし」と音読みするものには、次のようなものがあります。
 ① 橋
 ② 箸
 ③ 端 
橋の端(四隅)には4本の欄干があり、その欄干に宝珠を飾るものがあります。京都の三条大橋、同五条大橋、伊勢神宮宇治橋などが有名です。
 ところで「橋はなぜ四隅あるのだろう」と疑問をもった人がおります。この人の問いかけには、隠された意味があります。私たちが日常的に使っている箸を例にとれば、その意味がよくわかります。箸は一本では不自由極まりなく、二本揃って、はじめてその機能が発揮されます。

 小川に原始的な橋を架けるとします。この場合、一本の材木だけでは渡るのに不安定です。もう一本の材木を加えて「=」状にすれば、より安心して渡れるようになります。このように橋は箸と同様に二本揃ってより確実に機能することがわかります。

相対性とは
 =形を×形に置き換えると、それらの形が作りだす強度は高まります。ここに襷(タスキ)がけの意味が発見されます。わが国の古墳時代の三角文の襷がけをした巫女埴輪が作られていました。
橋と箸は、ともに二本1セットの形でモノの運搬に関わる「橋渡し」の役割を果たしています。この橋渡しには、人や物の移動や、相対する二者を結ぶときなどに使われています。
橋上の出会いはロマンを誘います。しかし、私たちの祖先にあたる古代人は、この橋に「和」の精神を読み取っていたのです。これを証明するものが橋の四本の欄干を飾る擬宝珠(宝珠形)です。箸の欄干に見られる宝珠形
唐突にも「はし」が「和」になって、これでは「箸にも棒にもかからない」と外野席から非難の声が飛んでくるかも知れません。
A氏「箸と棒はよく似ている」
B氏「これは笑点ですか」
A氏「いいえ、焦点です」
 わが国の古代人は、私たちの周りの生きとし生けるもの、そして、自然界の木々や草花に対して、一つのこだわりをもっていました。それは何であるか。わが国の古代人が縄文時代以来保持してきたものが、このこだわりです。それは類似のものとか同じ考え方を結ぶというものです。これによれば「異形同質」の仲間がドンドン増えて行くことになります。
「橋と箸」は「もの」ですが、「橋と箸」と「和」は「もの」と「こころ」の関係になります。すなわち、わが国の古代人がこだわった縄文以来の伝統とは、「相対性の発見」に発見されます。常に相対性を念頭にものごとを考えることです。それは一つの信仰の領域にまで達していたと考えられます。
この「異形同質の存在」を追及すること(変換作業を行なう)によって一見無関係に見える二者を理論的に結ぶことが可能になるのです。その不思議な力は双曲図形と楕円図形に基づく「相対性」から生まれています。
2本(にほん)=日本の箸について
 奈良県の桜井市に卑弥呼の墓ではないかと、一時議論された古墳時代初期の箸中山古墳があります。別名箸墓古墳といわれ、この古墳の名前にみられる「箸」に関する記事を『日本書紀』は書き残しています。
それは倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトビモモソヒメ)が箸で女陰(ほと)を突いて死んだとするものです。
議論の中で、一つの問題が提起されました。それはこの時代(古墳時代初期)に箸はなかったはずなのに、「なぜ箸という字が使われているのか」というものです。
編集権が与えられた『紀』編者は、ここで異形同質の変換作業を行なっていると考えられます。つまり、この場面で『紀』編者が「箸」を登場させたのは、異形同質の仲間の一つであるからです。
 ヤマトトトビモモソヒメは箸で女陰を突いていますが、『記・紀』に「女陰を突く」・「女陰を焼く」記事がみられます。それらをまとめると次のようになります。
①「天の服織女未見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき」
(『記』スサノヲが田の畦や灌漑用の溝を埋めるなどの乱行を働く詞章)
②「すなわち箸に陰を衝きて薨りましぬ」
 (『崇神紀』倭迹迹日百襲姫の詞章)
③「みほと炙かえて病み臥せり」
 (『記』イザナミの神生み神話の詞章)
 ①の梭に対しては機織の道具の一つです。経糸の中を潜らせて緯糸を通す時に使います。この経糸と緯糸に交差の概念、つまり相対性を読み取ることができます。
また機織には Ⅰ字形の糸を巻き取る桛という道具があります。東王父・西王母が頭に戴く勝杖は、このⅠ字形の意味を継ぐものと考えられます。つまり、二つのⅠ字形は☩(後掲図参照)形を形成し、この ☩形はひょうたん形の骨組みとなるものです。ひょうたん形は双曲図形と楕円図形につながっています。
②の箸が女陰を突くパターンは、棒と渦巻きの組み合わせににみるモチーフ、男根と女陰の関係に結ばれます。
 ③の炙は火を意味します。女陰に対して、新らしく火が加わります。女陰と火の組み合わせから連想されることは、古代の発火法です。それは棒と縄を使い、棒を回転させ発火させます。これに棒と渦巻きの概念を読み取ることができると同時に次のような意味を共有します。つまり、
・女陰は、新しい生命を生みだす。
・火は、自然から文明を生みだす。
となります。さらにローソクの炎に象徴されるとおり、燃える火は宝珠形、すなわち双曲図形と楕円図形をもっています。これらは生命誕生の原理に結ばれます。
 私たちは箸が一見無関係に見える梭と火に結ばれていることがわかりました。それらは女陰に作用しています。つまり生命誕生の原理に関わっていると理解できます。
 『記・紀』編者が箸・梭・火に与えたコードは、相対性の上に成立する「生命誕生の原理」ということになります。

まとめ
わが国の箸文化は世界的に有名です。箸と橋は「橋渡し」の意味を共有しています。わが国の古代人は、「はし」の訓読みに、葦の「あしとよし(悪しと善し)」の読みを与えたように、ユーモア精神をもっています。これもわが国の古代人の相対性重視の思想が生みだした文化の一つと言えるでしょう。
 さて、二本の箸は、同じ形をしていますが「同質でありながら異形の二者の合体によって新しいものが生まれる」という生命誕生の原理につながる意味を読み取ることができます。
 このように考えると、橋は箸と同様に、相対性、すなわち生命誕生の原理をもっていることになります。ここに、「橋渡し」の真の意味が読み取れます。遺伝を伝えるDNAも二重螺旋の上に「橋渡し」されています。
わが国では、橋の四隅に宝珠が存在します。この宝珠形こそ、橋と箸を結ぶ「橋渡し」をしているのです。これについては、話せば長くなるので、次の機会にします。
人生哲学を日常生活の中に巧みにとり込んだ先人の智恵に誇りを覚えるのは、私だけではないでしょう。世界に誇れるこのような日本(二本)の箸文化に対して、エコをからめた普及を一生懸命にがんばっている人たちがおります。このような人たちがおれば、箸は、端ではなく真ん中を歩くことができるようになるでしょう。

〔縄文人の思考法に学ぼう〕
トポロジーの視点をもてば、それまで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったことがわかるようになります

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