6と8について

 「縄文うずまき」に「6と8について」と題した一文を書こうと思いましたが、なかなかキーボードの指が動かない。そんなとき、友人の「念願が叶い香取・鹿島神宮を参拝できた」というブログが目にとまりました。
 そのまま眠りにつき、夜明けの直前に物部氏=ニギハヤヒの系譜が脳裏をよぎり、キーボードの指はスムーズに動き出していました。『日本書紀』神武条に、次のようなことが書かれています。

火に水を注げば消火する
 「火に水を注げば消火する」、これは子どもでもわかる道理です。同じことを『日本書紀』神武天皇条は、書いているのです。謎です。
  莬田川(うだがわ)の水を取りて、その炭の火に灌(そそ)きて、にはかの間に、その不意(おもひのほか)に出(い)でば、破れむこと必じとまうす。
 このような記事がなぜ書かれているのか、その理由を見つけることができないことを棚にあげて、『記紀』
はでたらめを書いている、とする研究者がいます。この解釈は恣意的にすぎます。
 水と火の関係は、相対関係に置かれています。自然では水に負ける火が水の君としての地位を獲得することになります。その水の君の地位を得た者は、饒速日命です。場面は饒速日命の降臨に始まります。
  『東(ひんがしのかた)に美(よ)き地(くに)あり。青山四周(あをやまよもにめぐ)れり。その中にまた、天磐船(あまのいわふね)に乗りて飛び降る者あり』といひき。われおもうに、その地(くに)は、必ずもて大業(あまつひつぎ)を恢弘(ひらきの)べて、天下(あめのした)に光宅(みちを)るに足(た)りぬべし。蓋(けだ)し六合(くに)の中心(もなか)か。その飛び降(くだ)るといふ者は、これ饒速日といふか。何ぞゆきて都(みやこ)つくらざらむとのたまふ。
 『日本書紀』が記す「東の美の地」が奈良県の大和三山地方であることは、前後の記述内容から明らかです。その地は「必ずもて大業…」と書き、その地に都を造ることが約束されたものであることを『紀』編者は確信しています。この確信は、どのようなところからきているのでしょうか。
 神武天皇、いや『紀』編者は饒速日命を必要以上に意識しています。それは、先に天降った饒速日命と後塵をはる神武天皇も、同じように大和の地を「大業を広めるためにふさわしい地」と認識していたことを強調しているように考えられます。
 なぜ、大和の地が最適なのでしょうか、饒速日が、その謎を解く鍵をもっています。この記事は、天孫である神武天皇より先に、大和の地へ饒速日命が降臨していたことを示すものとして有名です。
 ところで、なぜ天磐船なのか、なぜ櫛玉なのか、これらのことは、これまで問題にされませんでした。この問題を考えてみることにします。
 まず、饒速日命の系譜をたどってみます。『先代旧事本紀』は、「天照国照天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と記しています。長い名前ですが、そのなかで新たな疑問となる「天火明」が出てきました。この天火明命は天皇家の祖、火瓊瓊杵尊(ホノニニギノミコト)と兄弟とされています。少々入りこみ複雑になる気配があります。
 天火明命の「火明」は、「ほあかり」と読みます。なぜ「ほあかり」と読むのでしょうか。それは『紀』編者の意図によるものです。その意味はこの「ほ」に隠されています。「ほ」は「炎(ほのお)」の「ほ」でしょう。これに加えて考えられるのは「稲穂」の「穂」です。弟のニニギノミコトに燃える火の「炎」と稲穂の「穂」が与えられ、兄の天火明命には燃える火の「炎」が与えられたものと考えられます。したがって、天火明命は「炎」の「ほ」ということで、確定します。
 では、炎には、いったいどのような意味があるというのでしょうか。これについては、同「うずまきブログ」の「諏訪一大事!いざ井戸尻遺跡へ」に書いています。それはローソクの燃える火/宝珠形/双曲図形と楕円図形を表わすというものです。この炎=宝珠形の図式に、わが国の縄文人は生成と造化の原理を読み取っていた、このように考えてきました。

櫛玉に織り込められていた縄文の心
 縄文人をはじめとして世界の新石器人が燃える火に畏敬の念を抱いていたであろうことは、想像に難くありません。しかし、火は水と同じように人類にとって多大な恵みとともに、大きな災いを与えます。
 私たち人類をはじめとして、動植物を問わず、生きとし生けるものにとって、恵みと同時に災いをもたらす存在です。和魂(にぎたま)であり荒魂(あらたま)でもあり、計り知れない奇魂(くしたま)的存在でもあります。
 饒速日命の長い名前のなかにみえる「櫛玉」の「くし」が、この奇(くし)であれば、よく理解できるというのに、その神名に使われる漢字は、なぜ櫛なのか、わが国の古代人はこのような操作を、ときどき使っています。これは言葉の異形同質を意識するものであると考えられます。
 奇(くし)と櫛(くし)は、どこでどのようにつながっているのでしょうか。まったく無関係にみえる二者を結ぶものは、いったい何でしょうか。
 櫛の意味は、「髪の毛をすいたり、髪飾りとしたりするのに使う道具。髪に櫛を入れる。櫛の歯をひくように物事がひんぱんに引き続いて起こるさまを言う」と辞典は説明しています。
 髪に神を連想するのは、眉唾もののレッテルを貼られそうです。しかし、ここで髪=神をもちだすことは、飛躍しているようにみえますが、古今東西、人類が髪にこだわるのはローマ時代の渦を巻く髪型や、相撲の関取の大銀杏の髪型など事例を探すことは容易です。髪型といえば、天照大神は素戔鳴尊との誓約のとき、
「髪を結げて髻になし、裳を縛きまつりて袴になして、すなわち八坂瓊の五百箇の御統を以て、その髻鬘及び腕に纏け……後略」と書いています。『紀』の表現の説明を施します。岩波版『日本書紀』より。
髻=髪をあげて耳の上に結ったもの。左右に分けて結ぶ。角のように見える。角卯・角子などと書く。
 解説書によれば、アマテラスの髪型は角形ということになります。解明の糸口を掴みました。角は螺旋を巻いています。螺旋は渦巻きにつながります。角形の髪型は、螺旋と渦巻きにつながります。輪郭がとれてきました。
 古墳時代の埴輪に、その古墳時代の髪型をみることができます。では縄文時代はどのような髪型だったのでしょうか。長い髪は束ねて結います。その結い方に意味があったわけです。
 髪を櫛でとき、縄を撚るような結い方をしていたと思います。縄文土器に描かれる縄目文様と同じ形です。このように考えてくると、縄文の櫛に■形(後掲図1)の描かれる意味がわかってきます。その因果関係が明らかになります。
 縄文人、そして世界の新石器人は、自らが身をおく大自然は、双曲図形と楕円図形から成り立っている、このような認識をもっていたと考えられます。その認識は「自然との共生」思想を生む土壌になっていたことはいうまでもないでしょう。
 すなわち、縄文人は、髪型に双曲図形と楕円図形の■形(後掲図1)を結んでいたのです。正逆S字渦文の合体形を土偶の上に表わしたように、双曲図形と楕円図形が人体の上にも再現され得ることに気づいていたのです。
 わが縄文人にとって、髪の毛は神の気であったと考えられます。それを解きほぐす櫛は、「奇しきもの」でもあったのです。櫛状の考古学的遺物は、縄文時代や弥生時代の櫛があり、古墳時代の車輪石などがあります。これを梯子形文と呼ぶ研究者もいます。

莬田川から天香具山へ
 莬田川で水と火の関係を暗示した『紀』は、大きく飛躍して、本来は長髄彦との戦闘を前に緊張を強いられるはずなのに、『紀』は神武天皇に「軽兵を率いて」と記し、精鋭の軍隊を与えていません。それは戦闘する軍隊ではありません。この事例にみるように、『記・紀』に「戦」ではなく「和」の精神の存在を指摘することができます。
 神武軍の一行は宇多から吉野を経由して、天香具山へ至ります。香具山では何を語るのでしょうか。そこでは「天香具山の土が基業の成否にかかっている」と書かれ、一方で「天香山の社の中の土を取りて、天平瓮(あまのひらか)八十枚を造り、併せて厳瓮(いつへ)を造りて、天神地祇(てんしんちぎ)を敬ひ祭れ」と書かれています。後世に、この天香具山の土は、埴土使いとして住吉大社の神事にみえています。いったい「天香具山の土」は、何を暗示しているのでしょうか。ところで、この土器づくりと「基業の成否」は、分けて考える必要があります。(つづく)

〔縄文人の思考法に学ぼう〕
トポロジーの視点をもてば、それまで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったことがわかるようになります

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