大和は、なぜ「ヤマト」なのか

『記・紀』は、天照大神、天御中主神の事例に見るように「天」を「あま・あめ」と読んでいます。一方、「海」は「うみ」と読みますが、「あま」と読む場合もあります。『記』は、アマテラスは高天原を、ツクヨミは夜之食国を、スサノヲは海原を知らせと書いています。天と海は「アマ」でつながっています。
 『記・紀』が書く「葦牙(あしかび)」は、葦原中国の「葦」です。わが国では、これを「よし」とも呼びます。わが国の古代人は「あしとよし」に見るように相対概念を上手にあやつります。
 わが国の古代の国名の議論で「倭・大倭・大和・日本」などがあります。①「倭」は「わ」、②「大倭・大和」は「やまと」、③「日本」は「にほん・にっぽん」と呼びます。
①の倭の発音に共通するものに輪と和があります。③は意味の上で問題を提起することができますが、発音の上で際立った問題はありません。問題は②のヤマトです。双方に「おおわ」と読むことができても「ヤマト」と読むには無理があります。当て字とすれば、その理由を示さなければなりません。

 友人の石浦薫さんから、「ヤマト」とは「矢と的」ではないかという提案をいただきました。現在の全国の神社では射的神事が行なわれています。とはいってもこれを採用するには、矢は武器の一つです。その武器を使った神事が神社で行なわれているのはなぜか、誰もが納得できるような説明が求められるでしょう。
 ところで、わが国の古代人は、暗喩の手法に長けていると思います。たとえば、橘に多角形を、葛に渦巻きを見立てるという方法です。
 矢(や)と的(まと)に見立てられたものは、円錐形渦巻きだと思います。このように想定すると京都上賀茂神社の盛り砂の意味が解けてきます。つまり、二個の盛り砂は、二つの円錐形渦巻きということになります。もとろん二つの円錐形渦巻きは左巻き渦巻きと右巻き渦巻きです。この合体形のパターンは二つありますが、射的の場合は、図にみる向かい三角文になります(もう一つは菱形文)。
 このような合体パターンは、「同質でありながら異形の二者の合体によって新しい生命が生まれる」という生命誕生の原理に適っています。合体の基本は相互の「和」が重要です。ここに武器の登場する重大な意味が発見されるのです。すなわち、武器を使い戦いを行い、一方が他方を抑えて作り出された偽装の「和」ではなく、共存・共生を第一に考える「和」です。
 倭という字は、『広辞苑』によれば、
①中国・朝鮮で用いられた日本の呼称。
②日本の自称。やまと。和
となっています。
 和は、
①おだやかなこと。なごやかなこと。のどかなこと。
②仲良くすること。
③あわせること。
④二つ以上の数を加えて得た数
⑤大和国の意味
 倭と和は、「わ」の発音を共通としています。これだけ
では語呂合わせになってしまいます。倭と和には、もう
一つ「禾(のぎへん)」という共通点があります。これに対し、「ノ」と「木」に分けて考えてみます。この「ノ」と「木」に、相対図形の素粒子 )形を結ぶと意味が生じます。木の葉と木の実は、多くの相対図形の素粒子 )形をもっています。
 この禾(のぎへんをもつ和は、相手の存在を必要とします。ここに仲良くするという意味をもつ「和」の存在意義があります。加えて「禾」は「いね=稲」の意味があります。
 倭は和の暗喩です。それを象徴する形が二つの円錐形渦巻きです。巻き方の相違する二つの渦巻きの合体形は、新しいカタチを生みだします。矢と的、つまり「ヤマト」は融和を表わします。このヤマトを大倭と大和に当てたものと考えられます。
 ちなみにイロハのイはイの一番のイです。このカタカナの「イ」は、相対図形の素粒子 ) 形と直線(=棒)との組み合わせになります。「イ」は棒と螺旋、つまり、棒と渦巻きの組み合わせに発展します。(イロハのイは石浦薫さんのアイディアです)。
「お前はどこから来たのか」
「倭の国から来ました」

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