えびす様と大黒様

 2009年10月31日、土曜日、名古屋の中心部にある繊維問屋のある長者町(ちょうじゃまち)一帯で、若者を中心のパフォーマンスが何ヶ所かで開催されました。知人がギター演奏とダンスを取り入れた自作小説を朗読するというので、応援に駆けつけました。
 会場へ少し早く到着したため、散歩でもしようかと目を移すと、門柱に書かれた七福神神社という名前が飛び込んできました。そこには他の神様とともに精巧に彫刻された七福神が並べられていました。なかでも宝珠形に座る大国様とひょうたん形の軍配をもつ布袋様、そして蛭子様が印象に残りました。蛭子様は恵比寿の表記もありますが、「蛭」という字に秘密があるようです。「玉川の上水の仙人」さんが『記・紀』の記述を引いて書いておられるように「蛭兒」に関係があるのではないか、と考えられます。直感ですが、『記・紀』の蛭兒が葦船に乗せられて流される、という記述されるところが気になります。生れたのが蛭兒でなぜ葦船に乗せられなければならなかったのでしょうか。

 ところで、10月24日の土曜日には福井県美浜市の鳥浜博物館へ行ってきました。そこで発掘された縄文時代の丸木船をはじめて見ました。それはこの形でよく浸水しなかったのかなあ?と考えてしまうほど、両サイドの反りが浅いものでした。たまたまその博物館には、束にした葦が置いてありました。私はその長細く反りの少ない葦の葉に、その丸木船を重ね合わせておりました。『記・紀』に葦船の記述があるのを思い出したからです。『記・紀』は、なぜ蛭兒を葦船に乗せてながしたのでしょうか。
 葦の葉と縄文時代の丸木舟の両サイドの反りが少ないところがそっくりでした。葦の葉と縄文の丸木舟は、それらのカタチで結ばれています。とすれば、その葦船の乗せられた蛭兒の形はどのようなものでしょうか。蛭兒に水生動物のヒルを予想すれば、そのカタチに「)」形を予想することができます。三者が「)」形で結ばれていた可能性がでてきました。蛭子様の場合は、その名前の中にカタチが隠されていたのです。そして、葦の葉に縄文時代の丸木船を連想すれば、葦の葉と船とヒル、すなわち、葦と蛭兒と丸木船はそれらは形の上でつながるわけです。
 ここで、話は飛躍します。『記・紀』の葦・縄文の丸木船・ヒルのカタチが「)」形を表わしているとすれば、七福神の蛭子様は、それらの象徴的存在ではないかと考えることができるようになります。他の七福神の中の毘沙門天様や弁才天さまなどはヒンドゥー教の神でもあったといわれています。大黒様はわが国の大国主神とヒンドゥー教の流れを汲むと伝えられています。その大黒天様の宝珠形と布袋様のひょうたん形の軍配も、縄文人の発見した「)」形をそのカタチの中にもっています。バナナ形石器(図参照)も富山県を中心にして、石川県・岐阜県北部・新潟県に多く出土し、長野県や東北地方にも広がっていることがわかっています。これはバナナ形石器とも呼ばれていますが、相対図形の素「)」形を表わすものと考えられます。

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