奇跡は起こるか?

学校の先生(小学校・中学校・高等学校・大学校)と歴史愛好家は、なぜか縄文の歴史に興味がないようです。というより、縄文の歴史専門の考古学者が、縄文人の造った土偶の意味を解く方法論を見つけることができず、「お手あげ」状態であることが、最大の問題と考えられます。土偶が解けなければ土器に描かれる文様も解けません。

私はアマチュアの古代史研究家ですが、34年間、小川光三氏の『大和の原像』「太陽の道」や水谷慶一氏の『知られざる古代』に触発されて日本列島に描かれた巨大な二等辺三角形による大神社・大神宮の造営問題をはじめとして、「かたちの上からの歴史考察」を行なってきました。

今、振り返れば、携わったすべての問題は、もののかたちに関わるものであり、アカデミーの取り扱わないアウトサイダーに属すものだったと思います。わが国の古代人が測量を行ない由緒ある山や前方後円墳などを一直線で結んでいることは、やっとアカデミーが認める方向に立っているというところです。20年~30年の歳月がかかっています。

今から21年前に発表した『古代渦巻文の謎』は、故佐原眞の「渦巻文はフィクションだ」の発言に強く影響されて、アカデミーで取り上げられることはありませんでした。

たとえば、現代の数学の分野で確実に証明され、世界の数学者たちから認められている問題が、日本列島の縄文遺跡から出土する土器や土偶という考古学的遺物から、想像の産物としてではなく証拠となるものをもっていたとすれば、考古学者・歴史学者はどのように対応されるでしょうか。「それは絶対ありえない」と受け取る人がほとんどだと思います

時として、奇跡的なことが起こりうることを否定する人はいないでしょう。その奇跡が起ったとすれば…。歴史学会はこれまでの考え方を改めなければなりません。たぶん、それはできないことでしょう

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