縄文の歴史

94縄文人の精神世界

 わが国の考古学者は、考古学的遺物の形式学的研究に偏り過ぎたまま、これまで多くの貴重な時間を費やしてきました。縄文遺跡や弥生遺跡から出土する遺物が、なぜ作られたのか、どのような意味をもっているのかを考えることを怠ってきたことは、誰も否定できないでしょう。このような研究姿勢に問題があります。ネリー・ナウマン氏は、単刀直入に切り込んでいます。

 

日本の考古学者が縄文文化のもっている精神的側面に関心を寄せることは、一般にあったとしても稀である。明らかに実用的ではない道具や遺物を取り上げて、その特徴を「祭祀的」あるいは「祭式的」、「儀礼上の」などの形容辞で表現しながら、その一方では日常生活の痕跡がなく大型建物や環状列石があった場所を「一種の祭祀ないし儀礼目的のため」などと言って済ませるのが普通である。

 

 ナウマン氏は、金関恕・佐原眞・佐々木高明各氏によってユニークな研究と評された水野正好氏の研究について、つぎのようにのべています。まずその水野氏の発言内容を紹介します。

   誠実で親睦、広く人を愛し、相互に扶助して、財は頒ち合う、盗なく乱なく、賢者と能ある者が村を見守る、そうした大同と呼ばれる社会が縄文社会をイメージづける。都市への道を指向せぬ社会であるが、大同の道を確かめつつ歩みつづける社会、都市とはおのずと異なる道をいく社会として縄文社会が存在したのである。大同が永久に輪廻することが願われる、評価される縄文社会の思惟がそこにたどれるのである。永遠の『輪廻』は、八千年の長きにわたって縄文時代を彩る結果となった。輪廻の美しさは素晴らしいものがある。そのために日本文化の原郷をこの時代に求め、日本の独自性を強調しようとする動きが見られる。しかしその後の弥生文化を経て今日に連綿とつづくわが国の歴史は、どの時代の一齣をとっても今日の社会の母胎であり、今日の社会の原郷であるといえよう。日本列島の各時期に生起した各時代、各文化がもつ理念は、それぞれ今日のわが国を支える理念の根底となり、原像となっているのである(水野一九九〇)。

 

 これに対しナウマン氏は、「水野氏による縄文文化の描写は、結果としてはなはだしい理想化に帰結している。それは、水野氏がひじょうに独特に感じる文化や社会を賛美したものにほかならない」とのべています。ここで注意されなければならないことは、ナウマン氏はキリスト教国出身者であることを念頭におく必要性があるということです。ナウマン氏の発言にその一神教的発想があることは否めないでしょう。わが国の縄文文明が多神教であったことはまぎれもない事実です。キリスト教の一神教とは、最初の立つ位置に根本的な差が認められます。さらに重要な核心部分に触れているナウマン氏の発言を引用します。

 

   まさしく原初の時代にそのまま淵源とする日本文化の独自性、ここで再度目にするのはそのような思想である。何らかの欠乏を転じて利点にしたがるのは、常套戦略だといえよう。中国社会とはことなり、あきらかに縄文社会には都市が発達しうる状況は決して生まれなかったからである。そのほか、水野氏のおこなった発言や主張には一片の裏づけも見当たらない。

   縄文文化の精神的側面を遺物という物的証拠に基づいて記述したり類別しようとする試みは、それがどんなものであれ困難に直面してしまう。その可能性が遺物の性質自体によってはじめから制約を受けているからである。儀礼の特質を特定したり、その経過の再構築を許してくれるような手がかりを希望したところで、それは叶わぬ願いに終わるだろう。当然それらしき痕跡は皆無だからである。できそうだと考えられるのは、若干の象徴的意味や一部の祭器が有していた意味を解明することぐらいであろう。この種の推測がどんなものであっても、仮説の域を出ないままであるのは明らかである。とはいえ、ある解釈が承認されるか否かは、それを裏づけるために提出される論拠の妥当性にかかっている。

 

  「縄文文化の精神的側面を遺物という物的証拠に基づいて記述したり類別しようとする試みは、それがどんなものであれ困難に直面してしまう」とナウマン氏は、考古学的遺物の検証から縄文人の精神性を導きだすことは極めて困難であると指摘し、さらに「この種の推測がどんなものであっても、仮説の域を出ないままであるのは明らかである」とものべています。

  ネリー・ナウマン氏の考え方は正当でしょうか。これまでの氏の発言は、日本の考古学者たちの研究方法を痛烈に批判しています。ではネリー・ナウマン氏は、一万年以上続いた縄文文明の核心が何であるかを明らかにする方法をお持ちなのでしょうか。つづく

コメントは受け付けていません。