縄文人の偉大な発見と重大な発明 [その1]

これを読んでいただい人たちの中で、卑見が縄文の歴史の核心に触れていることを何人の人が認めてくれるでしょうか。

縄文土器はなぜ作られたのか
 縄文時代の研究で有名な国学院大学の名誉教授の小林達雄氏は、縄文土器は、編籠や樹皮籠の方形平底形態をまねて作られたのではなかったか、つまり、土器の創出は、編籠にヒントを得たものであるという考え方を示し、次のように述べています(『縄文人の世界』朝日選書1996)。

 籠をモデルにして土器が作られたと考えると、泉福寺洞窟の豆粒様の文様も理解できる。樹皮籠を作る場合、口縁部が縦に裂けるのを防ぐために、獣皮のようなものを口縁にかぶせ、紐でかがったりする。豆粒文とは、そのかがった紐が出たり入ったりする縫い目を粘土粒で表現したものではなかったか。そして壬遺跡の口縁の円孔文も、樹皮籠の縁どりに獣皮を被せてかがる前にあらかじめぶつぶつと開けた穴を文様として残した、とみることができるかもしれない。また器面全体を覆いつくす爪形文が編目を彷彿とさせるのは、まさしく編籠の籠目の投影だったからである。また、草創期の土器様式のいくつかに認められる口唇部上の押圧文やジグザフの微隆起線は、編籠やカワブクロナどの縁がかりを思わせる。
 小林達雄氏は、縄文土器の起源を編籠に求めています。編籠の編目を虫眼鏡で見ると二本の樹皮(あるいは獣皮)はらせん状に編まれています。このイメージから爪形文や隆起線文が想起されることに異論はありません。しかし、泉福寺洞窟の豆粒文から爪形文、そして隆起線文がどのようにつながっているのか、イメージ論だけでは説得力がありません。これらの文様が、撚紐と絡条体とどのようにつながっているのか、説明される必要があります。
[その2]へつづく

〔縄文人の思考法に学ぼう〕
双曲図形と楕円図形=相対概念をもてば、これまで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったことがわかるようになります。

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