6と8について

 「縄文うずまき」に「6と8について」と題した一文を書こうと思いましたが、なかなかキーボードの指が動かない。そんなとき、友人の「念願が叶い香取・鹿島神宮を参拝できた」というブログが目にとまりました。
 そのまま眠りにつき、夜明けの直前に物部氏=ニギハヤヒの系譜が脳裏をよぎり、キーボードの指はスムーズに動き出していました。『日本書紀』神武条に、次のようなことが書かれています。
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真ん中を通る一休さん -はし談義-

「このはしを渡るな」
「真ん中を通ってきました」
 これは一休さんの頓智です。わが国において、「はし」と音読みするものには、次のようなものがあります。
 ① 橋
 ② 箸
 ③ 端 
橋の端(四隅)には4本の欄干があり、その欄干に宝珠を飾るものがあります。京都の三条大橋、同五条大橋、伊勢神宮宇治橋などが有名です。
 ところで「橋はなぜ四隅あるのだろう」と疑問をもった人がおります。この人の問いかけには、隠された意味があります。私たちが日常的に使っている箸を例にとれば、その意味がよくわかります。箸は一本では不自由極まりなく、二本揃って、はじめてその機能が発揮されます。
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飛ぶ鳥と十字形

飛ぶ鳥と十字形 ―ミソサザイとハヤブサの関係―
 『日本書紀』仁徳天皇条に、ミソサザイという小鳥とハヤブサという猛禽類が登場する奇妙な記事があります。それは仁徳天皇の別名「鷦鷯」と隼別皇子の名前に現われています。ストーリーは雌鳥皇女をめぐる仁徳天皇と隼別皇子の軋轢を語るものです。この話を文字どおり受け取ることはできません。文字通りとは、かつて津田左右吉という人が、『記・紀』はでたらめを書いていると言いました。過ちはこれだけに終わらなかったのです。『記・紀』は天皇家擁護のために書かれた史書と言い切った研究者のいることです。
 仮にそうであるとすれば、たとえば、雄略天皇条などは、その悪徳ぶりが克明に書かれています。これなどは天皇家を擁護することにはなりません。擁護が目的ならば決して書くことはなかったでしょう。これだけをみても津田左右吉の結論は、当時の社会の情勢に立った視点からの歴史観であることがわかります。歴史認識の違いは、時に重大な結果を招くことになります。左右の思想や特定の勢力に加担することは許されません。バランス感覚をもち正当に判断することが求められるのです。
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諏訪一大事。いざ井戸尻へ

7月26日(土)の午前3時ごろ井戸尻考古館に到着し車の中で仮眠をとり、夜明けとともにテントの設営をしました。
 真夏の灼熱の太陽光線を感じる午前11時ごろから人々が集まり、私たちのブースにも縄文に興味をもつ人たちが訪れてくれました。
『ピースデイin 八ヶ岳』のプレ・イベントの日です。
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井戸尻縄文遺跡の秘密

井戸尻考古館は、長野県八ヶ岳山麓、富士見町にあります。ここには今から約4000年から5000年前、縄文中期の縄文時代の土器や土偶が陳列されています。考古館のあるところは縄文遺跡が隣接し、池には、縄文時代の蓮(大賀蓮)が今を盛りと咲いています。

 風光明媚な絶景の地です。訪れた誰もが「また行ってみたいな」と思うことでしょう。その思いは縄文人も同じであったかと、その地にいってみて、初めて気づきます。国宝の土偶「縄文のビーナ仮面の土偶」を擁す尖石考古館より、井戸尻考古館の環境はすばらしい、の一言ため息がでます。
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