縄文文明に関して その2

図 生の緒縄文文明に関して    2017.1.3

 ネリー・ナウマン女史は、オーストリアの歴史・民族学者です。前回は、その著作である『生の緒』縄文時代の物質・精神文化(言叢社、檜枝陽一郎訳、2005)を読んで、最初に気になった「水野氏による縄文文化の描写は、結果としてはなはだしい理想化に帰結している。それは、水野氏がひじょうに独特に感じる文化や社会を賛美したものにほかならない」とする、水野正好批判でした。

 「誠実で親睦、広く人を愛し、相互に扶助して、財を頒ち合う、盗なく乱なく、賢者と能ある者が村を見守る、そうした大同と呼ばれる社会が縄文社会をイメージづける。……………」と書く前回の水野正好氏からの引用文を読み直してみたいと思います(前回、2016年12月10日の記述参照)

 ネリー・ナウマン・水野正好両氏ともに、自説をのべるに際して、その論拠とするところが欠如していることが感じられます。ナウマン氏の著作に銘打つように「縄文時代の物質文化をもって縄文人の精神文化」をより深く検証することが必要であると思います。たとえば、ナウマン氏は自作の中で、つぎのようなことを書いております。

 縄文人の遊び心を写し出している豆粒大の出土品を指摘しておきたい。およそ前四千年のものである秋田県池内遺跡の捨て場となっていた谷地形に、コンテナ四箱がいっぱいになるほどのクルミがあった(図参照)。大量のクルミのなかから、割れていない特殊加工をしたクルミが二個発見された。二個ともに全体を滑らかにして、一個はそれに平行線と山形文様が彫刻されていた(H1991-1995:182)。作業の意図jは何であったのか、何のためのものか。子供の玩具であったのか、贈り物なのか、あるいは単なる「芸術作品」であろうか。おそらく永久に知ることはないのだろう。

この大量のクルミを残したのは縄文人です。「なぜ、縄文人はそのような大量のクルミを保管していたのか、ナウマン氏は皮肉らしき言葉を交えて「おそらく永久に知ることはないのだろう」と結論づけています。

    クルミは、縄文人にとって貴重な食糧の一つでした。他方、クルミの特徴はその外形に見いだすことができます。それは宝珠形です。同じカタチをもつ仲間にドングリや栃の実、栗などがあります。縄文人にとって、ドングリや栃の実は食用とするには「あく抜き」という作業をしなければなりませんが、ちゃんとそのことを知っていました。また、それらが同じカタチ、すなわち、宝珠形であることに気づいていました。生きて行くためになくてはならない木の実の統一的なカタチである宝珠形は、クルミやドングリ・栃の実・栗たちにとっても子孫を絶やさないための重要な種子のカタチです。このような意味をもつ木の実のことを考えながら、縄文人は、それらを食べていたはずです。

    宝珠形は橋の欄干に備えつけられており、神社にもそのカタチが描かれたのぼりなどがあります。縄文人が、木の実に感謝の心をもっていたことは、現代に至るまで、宝珠形を大事にしてきたこと、神社や多くのもののカタチの上に見ることができます。さらに重要なことは、クルミやドングリ・栃の実・栗のもつ宝珠形は、異形同質の関係にある二本のらせん形から成り立つカタチであるということです。一本のらせん形では宝珠形になりません。もう一本のらせん形、つまり「相手の存在」があって、はじめて成立する「和の精神」厳密には、その反対の争いの相手の意味を同時に読み取れるカタチをもっています。だから、わが国独自の文化である狂言の「木の実の争い」において、栗の仲間と橘の仲間は、喧嘩はするものの終わりは三々五々に舞台の裾に入って行くわけです。「和と争い」、相反する概念のなかにおいて、「和」が選択されています。ちなみに、橘の仲間たちは、円環の連鎖形と正多角形のカタチを内包しています。

    森羅万象、そして、宇宙創成、生命誕生は、かたち(・・・)の概念をもたないと、ナウマン氏のいうとおり、それらの意味を「永久に知ることができなであろう」。しかし、カタチの視点をもてば、「即座に答えが得られます」。そこには必ず「和の精神」があります。これは多神教でないともてない「こころ」だと思います。

縄文の歴史

94縄文人の精神世界

 わが国の考古学者は、考古学的遺物の形式学的研究に偏り過ぎたまま、これまで多くの貴重な時間を費やしてきました。縄文遺跡や弥生遺跡から出土する遺物が、なぜ作られたのか、どのような意味をもっているのかを考えることを怠ってきたことは、誰も否定できないでしょう。このような研究姿勢に問題があります。ネリー・ナウマン氏は、単刀直入に切り込んでいます。

 

日本の考古学者が縄文文化のもっている精神的側面に関心を寄せることは、一般にあったとしても稀である。明らかに実用的ではない道具や遺物を取り上げて、その特徴を「祭祀的」あるいは「祭式的」、「儀礼上の」などの形容辞で表現しながら、その一方では日常生活の痕跡がなく大型建物や環状列石があった場所を「一種の祭祀ないし儀礼目的のため」などと言って済ませるのが普通である。

 

 ナウマン氏は、金関恕・佐原眞・佐々木高明各氏によってユニークな研究と評された水野正好氏の研究について、つぎのようにのべています。まずその水野氏の発言内容を紹介します。

   誠実で親睦、広く人を愛し、相互に扶助して、財は頒ち合う、盗なく乱なく、賢者と能ある者が村を見守る、そうした大同と呼ばれる社会が縄文社会をイメージづける。都市への道を指向せぬ社会であるが、大同の道を確かめつつ歩みつづける社会、都市とはおのずと異なる道をいく社会として縄文社会が存在したのである。大同が永久に輪廻することが願われる、評価される縄文社会の思惟がそこにたどれるのである。永遠の『輪廻』は、八千年の長きにわたって縄文時代を彩る結果となった。輪廻の美しさは素晴らしいものがある。そのために日本文化の原郷をこの時代に求め、日本の独自性を強調しようとする動きが見られる。しかしその後の弥生文化を経て今日に連綿とつづくわが国の歴史は、どの時代の一齣をとっても今日の社会の母胎であり、今日の社会の原郷であるといえよう。日本列島の各時期に生起した各時代、各文化がもつ理念は、それぞれ今日のわが国を支える理念の根底となり、原像となっているのである(水野一九九〇)。

 

 これに対しナウマン氏は、「水野氏による縄文文化の描写は、結果としてはなはだしい理想化に帰結している。それは、水野氏がひじょうに独特に感じる文化や社会を賛美したものにほかならない」とのべています。ここで注意されなければならないことは、ナウマン氏はキリスト教国出身者であることを念頭におく必要性があるということです。ナウマン氏の発言にその一神教的発想があることは否めないでしょう。わが国の縄文文明が多神教であったことはまぎれもない事実です。キリスト教の一神教とは、最初の立つ位置に根本的な差が認められます。さらに重要な核心部分に触れているナウマン氏の発言を引用します。

 

   まさしく原初の時代にそのまま淵源とする日本文化の独自性、ここで再度目にするのはそのような思想である。何らかの欠乏を転じて利点にしたがるのは、常套戦略だといえよう。中国社会とはことなり、あきらかに縄文社会には都市が発達しうる状況は決して生まれなかったからである。そのほか、水野氏のおこなった発言や主張には一片の裏づけも見当たらない。

   縄文文化の精神的側面を遺物という物的証拠に基づいて記述したり類別しようとする試みは、それがどんなものであれ困難に直面してしまう。その可能性が遺物の性質自体によってはじめから制約を受けているからである。儀礼の特質を特定したり、その経過の再構築を許してくれるような手がかりを希望したところで、それは叶わぬ願いに終わるだろう。当然それらしき痕跡は皆無だからである。できそうだと考えられるのは、若干の象徴的意味や一部の祭器が有していた意味を解明することぐらいであろう。この種の推測がどんなものであっても、仮説の域を出ないままであるのは明らかである。とはいえ、ある解釈が承認されるか否かは、それを裏づけるために提出される論拠の妥当性にかかっている。

 

  「縄文文化の精神的側面を遺物という物的証拠に基づいて記述したり類別しようとする試みは、それがどんなものであれ困難に直面してしまう」とナウマン氏は、考古学的遺物の検証から縄文人の精神性を導きだすことは極めて困難であると指摘し、さらに「この種の推測がどんなものであっても、仮説の域を出ないままであるのは明らかである」とものべています。

  ネリー・ナウマン氏の考え方は正当でしょうか。これまでの氏の発言は、日本の考古学者たちの研究方法を痛烈に批判しています。ではネリー・ナウマン氏は、一万年以上続いた縄文文明の核心が何であるかを明らかにする方法をお持ちなのでしょうか。つづく

土星の六角形の渦巻

図 渦巻と正六角形0002図 らせん形の三形態土星の六角形の渦巻

     インターネットに載る「土星の六角形の渦巻」に関する解説において、研究者の姿勢というか、考え方に問題があります。土星の六角形現象を検証することの必要性はわかりますが、六角形なぜ生じるかは別の考え方が求められと、私は考えます。                                         

インターネットの記事を読む限り、「土星の六角形」が生じる原因に触れる言葉はありません。ここで、もっとも重要なことは「六角形と渦巻」の関係です。これはコロンブスのタマゴに相当するくらい、聴けば「あ、そうか」と、難しいことではありません。ただ、著作権が発生します(無断盗用禁止)。                                  

「六角形と渦巻」の関係は、ヨコ並びの眼形を描くと正六角形が生じる図形現象に見いだすことができます。ヨコ並びの眼形は円形を横並びに描くことから生じます。土星の六角形は、正六角形といっても通用するくらいのカタチをもっています。すなわち、一番右側の図に示すとおり、円筒形渦巻から生れる正多角形です。この渦巻はらせん形のもつ三形態の一つです。土星の六角形は、二重らせん構造、つまり、左巻きらせん形と右巻きらせん形の合体形から生れたカタチと考えることができます。

奇跡は起こるか?

学校の先生(小学校・中学校・高等学校・大学校)と歴史愛好家は、なぜか縄文の歴史に興味がないようです。というより、縄文の歴史専門の考古学者が、縄文人の造った土偶の意味を解く方法論を見つけることができず、「お手あげ」状態であることが、最大の問題と考えられます。土偶が解けなければ土器に描かれる文様も解けません。

私はアマチュアの古代史研究家ですが、34年間、小川光三氏の『大和の原像』「太陽の道」や水谷慶一氏の『知られざる古代』に触発されて日本列島に描かれた巨大な二等辺三角形による大神社・大神宮の造営問題をはじめとして、「かたちの上からの歴史考察」を行なってきました。

今、振り返れば、携わったすべての問題は、もののかたちに関わるものであり、アカデミーの取り扱わないアウトサイダーに属すものだったと思います。わが国の古代人が測量を行ない由緒ある山や前方後円墳などを一直線で結んでいることは、やっとアカデミーが認める方向に立っているというところです。20年~30年の歳月がかかっています。

今から21年前に発表した『古代渦巻文の謎』は、故佐原眞の「渦巻文はフィクションだ」の発言に強く影響されて、アカデミーで取り上げられることはありませんでした。

たとえば、現代の数学の分野で確実に証明され、世界の数学者たちから認められている問題が、日本列島の縄文遺跡から出土する土器や土偶という考古学的遺物から、想像の産物としてではなく証拠となるものをもっていたとすれば、考古学者・歴史学者はどのように対応されるでしょうか。「それは絶対ありえない」と受け取る人がほとんどだと思います

時として、奇跡的なことが起こりうることを否定する人はいないでしょう。その奇跡が起ったとすれば…。歴史学会はこれまでの考え方を改めなければなりません。たぶん、それはできないことでしょう

勾玉の意味

勾玉形の誕生図に見るように勾玉は「異形同質の関係」にあります。このカタチに対し、明暗・上下・善悪などを照合することは、無理があります。明暗・上下・善悪は「異形同質の関係」ではありません。対峙する二者か、相違する意味をもつ二者と表現する方がわかりやすいと思います。

異形同質の関係は、「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しいカタチが生れる」、もしくは、「同質でありながら、異形の二者の合体によって新しい生命が生れる」という意味をもっています。

しめ縄で考えて見ると、よくわかります。撚る前のしめ縄は同形ですが、撚る時は起点を固定し、二本の縄の最初は、必然的に左巻きか右巻きのどちらかになり、もう一方はその逆になります。つまり、「異形の二者」になり、つぎにそれらは「合体」して新しいカタチである「しめ縄」になります。

このように勾玉を問題にする時は、その語義をしっかりとしておかないと誤った解釈をすることになります。なお、右の2個の勾玉形に二つの小穴を描くと太極図になり、韓国の国旗に描かれていますが、太極図、すなわち勾玉の大本は日本列島の縄文人の創案に「よるものです。