神と雷のお話

わが国では八百万(やおよろず)の神といわれるほど多くの神々が存在します。なぜ八百万といわれるほど多くの神々がいるのか、その答えは未だ提出されていません。
 縄文時代から弥生時代にかけて、土器などに渦巻文が描かれています。特に銅鐸と呼ばれる 弥生時代の祭器にはおびただしい数の渦巻文が描かれています。わが国の古代人が、この渦巻きに対して重大な関心を寄せていたことはまぎれもない事実でしょう。

 いっぽう、西の果てのアイルランドおよびブリテンには渦巻き文化をもつケルト族が住んでいます。このケルト族の渦巻きはキリスト教を受容し十字架に渦巻きを絡ませた不思議な文化を創り出しました。ケルトの渦巻きは再生観を表わすものと考えられています。
 それでは日本列島の渦巻きは何を意味しているのでしょうか。この問題を考えるために、古代中国に遡って神の初文をヒントに、神と渦巻きの関係を考えてみたいと思います。
 実はこれから私が書こうとしていることは、この四月上旬に彩流社から発売される拙著『渦巻きは神であった』に掲載できなかった原稿です。

神と雷を結ぶものは何か
 私たちが住むこの地球上において、「まったく無関係と思われる異質の二者を合体させ、一つの新しいものを生み出す」ということが可能かどうか、それは私たちが確認できる範囲内のものとして存在するものであるかどうか。皆さんはどのように考えられますか。
 この命題を解く鍵を「神の初文」はもっています。神の初文は図1aに示すものです。

 ここから、「異質の二者の合体から新しく生み出されるもの」が何であるか、その正体を突き止める作業がスタートします。
 しめ縄状文様は、その形はシンプルですが、神の初文、すなわち「申=」と同じ生命誕生の原理が示す「同質でありながら異質の二者の合体によって新しい生命が生まれる」をもっています。
 この申の初文 と表裏一体形をなすものに 、つまり雷の初文(甲骨文)があります。雷は稲妻とも表現されます。
 「雷=稲妻」という等式は、次の稲作農耕に結ばれ、さらに治水思想へ止揚します。この段階で左巻き渦巻きと右巻き渦巻きの合体形は治水思想に結ばれることになります。
 雷は水を呼びます。稲妻と呼称されるとおり水稲耕作には水が必要です。水に結ばれる雷の初文は となっています。左右に描かれる二つの小丸を除く本体の形は魂の再生を促す申の初文 と表裏一体の関係を作り出しています。
 雷と神の初文による表裏一体の関係が成立するためには、形は相似するが、性質が異なるという条件に適合することが必要です。つまり雷と神の同質性は、それぞれの初文にみる「渦巻き」に求めることができます。
 すなわち雷が所有する「光と音による降雨の招来」現象は、申、つまり神の所有する「左巻き渦巻きと右巻き渦巻きの合体形」、すなわち生命誕生の原理をもっていることになります。これによって雷は文字どおり「神成り→カミナリ」になるわけです。
 初文における雷は神と表裏一体の関係に置かれています。水稲農業を生業としたわが国の古代人が、この雷に対して稲妻の名前を与えた根拠は、雷が「降雨の招来」現象を示しているからにほかなりません。つまり、稲穂の結実するときに発生する雷雨は治水思想を象徴するにふさわしい存在です。
 いっぽう左巻き渦巻きと右巻き渦巻きの合体形は、「生と死」、「肉体と魂」の関係に示される再生思想をもっています。
 ここに注目してください。
 治水思想と再生思想の接続の理論的根拠は、雷と神の初文におけると表裏一体の関係に求めることができます。
 表裏一体の関係とは、百八十度のねじれ現象と同義です。この百八十度のねじれ現象によって表と裏が接続されるわけです。さらに神の初文と雷の初文は、ともに左巻き渦巻きと右巻き渦巻きの合体形をもっています。ここに「生命誕生の原理」との接続が認められます。
 すなわち、神の初文と雷の初文の表裏一体の関係は、メビウスの帯と同じ意義をもっています。この表裏一体の関係は鏡にS字渦文を映した時の鏡像現象と等式で結ぶことができます。これは三角縁神獣鏡の最大の謎である「傘松形文様」の謎を解き明かすことになります。
 治水思想と再生思想は、単に貼り合わせた表と裏の関係ではありません。メビウスの帯と同じ百八十度のねじれをもつ合体形です。これは神と雷の初文が渦巻き形であるところに象徴的に表現されています。
 問題は、わが国の古代人が右のように理解していたかどうか、という点にあります。この問題を考えるに際して、次の二つの事例は非常に重要な意味をもっています。
① 銅鏡が光を反射する機能をもつ祭器であったこと。
② 銅鐸が音を出す機能をもつ祭器であったこと。
 右のことは、わが国の古代人が銅鐸=音、銅鏡=光と等式で結んでいたことを示しています。この銅鏡と銅鐸にみる光と音の関係は、稲妻、つまり雷現象に結ばれます。
 銅鐸には多くの渦巻文が描かれています。神の初文はまさに渦巻きを表わしています。これは銅鐸出土地に神の文字がつく事例が多いという問題に対して、明解な答え提出しています。つまり、それは渦巻きが神と認識されていたことを示しています。
 さらに、わが国では雷をカミナリと読み、稲光、稲妻という言葉が存在します。稲の結実の時期に雷が発生するところに稲と雷の密接な結びつきがあります。
 米という字は×と+の合体形を呈しています。この×形と+形、およびその合体形は折り紙の原理にみるとおり万物造形の原点にあるといっても過言ではありません。
 米 形は正八角形の骨組みであり万物創造の原点という意味をもつことになります(拙稿「八角墳の謎」)。ここに円接正多角形という図形概念の認識と学習、そして展開があります。
 このことは雷が「雨と田」の字をもつことと無縁ではありません。稲作農耕民にとって米は生きるための糧なのです。それが神と表裏一体を成す雷に結ばれたとしても何ら不思議ではありません。因みに稲作農耕に絶対必要な水は正六角形の骨組みとなる *形をもっています。この *形と 形は合体の同士です。
 これらのことがいつの時代まで遡れるかという問題はありますが、雷と稲作の密接な結びつきに気づいていたことに変わりはありません。
 以上から、銅鏡と銅鐸という考古学的遺物を根拠に、銅鐸と銅矛が祭器とされていた時代において、わが国の古代人は、渦巻きに対して神概念をもち、稲作に必要な水に関係する雷と、百八十度のねじれをもつ裏と表の関係を結んでいたと考えることができます。一見無関係に見える異質の二者の合体理論の根拠は、神と雷の初文を淵源とするものと考えられます。 わが国の古代人は単なる野合ではなく、理路整然、正確無比に異質の二者、つまり雷と神の合体理論を組み立て万物創造のパターンをメビウスの帯に結んでいたと思います。
 この治水思想と再生思想という複合思想は、図形と文様で言えば、縄文土器に萌芽をみる円接正多角形としめ縄状文様に該当します(拙著『渦巻きは神であった』彩流社二〇〇七)。
 この図形と文様の合体は「思想を形として表わす」象徴的存在といえるでしょう。
 それを教授するものは、
 ☆鏡に映るS字渦文
であり、「思想を形として表わした」具体例は、
 ☆銅鐸と武器型祭器(銅矛・銅戈・銅剣)
 ☆前方後円墳
ということになります。
 わが国の古代人は、異質の二者の合体にこだわっていました。その淵源は神と雷の初文に求めることができます。この神と雷の関係は、メビウスの帯の表裏一体形を基本にもっています。
 このメビウスの帯がもつ意味を鏡とS字渦文の関係の上に発見したわが国の古代人は、次に治水思想と再生思想の複合思想を、具体的な形として現出することを考えました。これを実現すべく、異質の二者の合体方式にのっとり「測量」を共通とする太陽と火の一体化概念を構築し前方後円墳を創出した、このように理解されます。

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