井戸尻縄文遺跡の秘密

井戸尻考古館は、長野県八ヶ岳山麓、富士見町にあります。ここには今から約4000年から5000年前、縄文中期の縄文時代の土器や土偶が陳列されています。考古館のあるところは縄文遺跡が隣接し、池には、縄文時代の蓮(大賀蓮)が今を盛りと咲いています。

 風光明媚な絶景の地です。訪れた誰もが「また行ってみたいな」と思うことでしょう。その思いは縄文人も同じであったかと、その地にいってみて、初めて気づきます。国宝の土偶「縄文のビーナ仮面の土偶」を擁す尖石考古館より、井戸尻考古館の環境はすばらしい、の一言ため息がでます。

 さて、井戸尻考古館は、規模は小さくても中身は非常に濃いものがあります。ここに陳列されている土器や土偶を観察すれば、

それまで見えなかったものが見えるようになり、

わからなかったことがわかるようになります。

 井戸尻遺跡は貴方の期待を裏切りません。ただ一つ条件があります。それは、縄文人の視点からみていただきたいということです。

  そんなこと言われても、縄文人の視点がどのようなものかわからない。

縄文人の視点とは、一言でいえば、「曲線の美」です。最初に坂上遺跡から出土した土偶を例に引きます。

 この土偶の特徴は、顔と胴体にみいだされます。胴体に注目してください。その鼓形の反り返りは見事です。この反りが意識されるものであることは、腰の部分を割愛して両脚につなぎ胴体部分のみでその反りを表現しているところに発見されます。

 縄文人は機能を無視した造形を行なっていることは、先学が指摘するところです。しかし、なぜそのような造形が行われたのか、その理由は明らかになっていません。

この反りを図形的に表現すれば、へこみと言い換えることができます。へこみとふくらみは一身同体的に対になっています。この土偶のように胴体部分に表現された「へこみ」に目を奪われてしまいます。

へこみがあれば、ふくらみがあります。そのふくらみは顔と両胸にみいだされます。問題はこの顔の形を、ハート形とみるか、それとも他の形とみるか、その判定にあります。

ハート形といえば、外国から伝えられたと考えておられる方が多いのではないかと思います。実はわが国の縄文人が愛した形だったのです。次図がそのハート形をもつ土偶です。群馬県郷原遺跡から出土しています。国宝です。

縄文人は、ハート形をどこで知ったのでしょうか。答えは拙著、甦る縄文の思想『あきづしま 大和の国』(彩流社2007年)において指摘しました。S字渦文と逆S字渦文を図のように接続すれば、ハート形が生まれます。

 井戸尻坂上遺跡の土偶に戻ります。ハート形土偶の顔の形と見比べてください。そのふくらみ方が微妙に違っていることに気づかれるのではないでしょうか。

決め手は顎の部分の凸形にかかっています。坂上遺跡の土偶はハート形に似て非なるものと考えられます。

いずれにしても、ふくらみに相当する形であることに変わりはありません。このへこみとふくらみのアンバランスが、この土偶に隠されていた秘密ではないか、このように考えられます。

 では、その秘密とは何か。へこみとふくらみは、凹と凸という漢字で表わすことができます。つまり、凹凸は、表と裏、上と下、明と暗と同じ相対関係をもっています。

 現代のトポロジー(位相数学)では、へこみを双曲幾何、ふくらみを楕円幾何と呼んでいます。

 なぜ、縄文人は凹凸に興味をもったのでしょうか。この疑問を解く糸口は現代のトポロジーにいう「双曲幾何と楕円幾何」がもっています。この概念を導入して見直すと、繰り返しますが、

  それまで見えなかったものが見えるようになり、

わからなかったことがわかるようになります。

双曲幾何と楕円幾何の導入した新石器の古代史研究は、これまでの日常的な感覚から大きく乖離した視点だけに、「排除の論理」が働いています。しかし、排除の論理の行使は、「鼎の軽重を問われることになる」と思います。縄文人にとって、トポロジーは、日常的な感覚であったのです。

 井戸尻の縄文文化は、私をして日本に生まれてよかったとの想いを強くしています。皆さんとそれらを共有したいと願っております。縄文人が育んだ世界に誇れる大いなる遺産/森の文化を大事にしていきたいと思います。

〔縄文人の思考法に学ぼう〕
トポロジーの視点をもてば、それまで見えなかったものが見えるようになり、わからなかったことがわかるようになります

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